2017年12月4日
● 姫路市網干区新在家の新在家自治会館前に天保年間の道標があったので「的形周辺の道標」のページ下部「-たつの市御津町から姫路市飾磨までー」に「網干区新在家の道標(3)」として掲載しました。同時に周辺の写真の一部を入れ替えました。
2017年11月25日
● 三木市志染(しじみ)町三津田の旧い交差点に8基の石造物がありました。その内の3基(実は4基ありましたが、見落としました)が道標として確認できたので「有馬街道の道標」の中ほど「三木市志染町、北廻りと南廻りの分岐」の次に追加掲載しました。
2017年10月27日
● あべのハルカス美術館の「北斎展」に行きましたが、10分ほど待ってやっとエレベーターで16階に上がったら、切符売り場前は大行列で「約60分待ち」の札もあり、後のスケジュールもあるので諦めました。
● この日の第二の予定は、あべのハルカス→茶臼山→四天王寺→八軒家浜までの熊野街道です。残念ながら事前調査の不足もあり、収穫は四天王寺境内の道標1基でした。「旅先で見た道標」に掲載しました。
2017年8月20日
● 久しぶりに遠出をしてみました。国道29号線(姫路市~鳥取市)で鳥取県八頭郡若桜町までドライブしました。県境の戸倉峠を越えてその下りの途中にある岩屋堂という自然の洞窟の中に作られた古刹と、その少し先の若桜町の中で見つけた伊勢道の道標を「旅先で見た道標」のページに掲載しました。
2017年5月25日
● 県道23号三木宍粟線の姫路市夢前町四辻から福崎、加西を経て県道79号高砂加古川加西線を南下するコースをドライブしてみました。4ヶ所で7基の道標を見つけたので追加掲載しました。
● 姫路市夢前町莇野の道標は「巡礼道(2)、夢前町」の下部、神種の道標の次に
● 福崎町大貫の道標は但馬道からは離れていますが、福崎町の道標がまとまっている「但馬道の道標」に
● 加西市畑町の道標と栄町の道標は「加西市の道標」下部の加西市番外編に
それぞれ掲載しました。
2017年5月11日
● 船津町の旧但馬道でもう一つ未確認の道標があったので探してみました。JR香呂駅から東へ徒歩で40分ほどの船津町の西勝寺周辺を探してみました。旧但馬道は、西勝寺の西の今はほとんど使われていないあぜ道になっていました。前回はとなりの広い道を通ったので、見逃したようです。「但馬道の道標」の仁色消防書庫前の道標の次に掲載しました。
● 的形から姫路駅まで歩いてみました。途中の兼田に姫路藩家老の河合家墓所を案内する大きな道標があったので「的形周辺の道標」の中ほどに掲載しました。
2017年5月8日
● 和田山方面にドライブした帰りに、前から気になっていた船津町の但馬道の道標を再度探してみました。今まで推測していた場所から100㍍ほど離れた個人宅前の電柱の根元にありました。この道標の設置場所は古い地図では十字路になっていましたが、よく調べてみると焼野池が後からできて道路の様子が変り十字路が三叉路に変わっていました。
● 船津町内の但馬道は、大正時代の西光寺野開墾や近年の播但自動車道建設などでかなりルートが変わっているようです。詳細は「船津町史」「福崎町かたりべ」「石造遺物の神崎郡誌(下)」などにありますが、ここでは割愛しました。
● 「但馬道の道標」に追加掲載しました。
2017年3月10日
● 三木市の細川町高篠と細川町脇川および小野市で道標を探してみました。江戸時代の道標も多くの残っていましたが、残念ながらほとんどが草むらに倒れていたり土手に埋没していたり、また風化が激しく判読できないなど、保存は最悪の状態でした。
● そのため探すのに手間取りました。写真撮影に際しても周辺の草刈りや傾斜の中途など、かなりハードでした。判読不能な銘文は「三木の道しるべ」で確認し、「小野市、三木市の道標」に掲載しました。
2017年2月16日
● 赤穂市内で5基の道標と1基の藩境石を確認したので、「室津道の道標」のページ下部に「赤穂市の道標」を追加して掲載しました。今回の道標はいずれも紀年銘がありませんでしたが、表記などから推測すると江戸時代のものと思われます。
● 室津港から街道を西に進むと相生を経て、赤穂につながるので「室津道の道標」にまとめました。