―更新情報(2011)―

2011年10月26日

 たつの市追分を国道29号線に沿って北に向かうとまた姫路市林田町になります。ここで道標2基を見つけました。またたつの市でも1基新たに見つけたので「因幡街道の道標」に追加しました。

 ここ林田町から北の山崎を通り鳥取に抜けるルートも地図では因幡街道になっています。しかし、江戸時代の脇往還因幡街道は佐用町から智頭を通るルートになっています。よくわかりません。

2011年10月24日

 18日の続編です。姫路市飾西(しきさい)宿からたつの市觜崎(はしさき)宿まで歩きました。この間で見つけられた道標は3基のみでしたので、多少観光案内も含めて「因幡街道の道標」に掲載しました。

 また、姫路駅前のビルは建替えのため取り壊しているので姫新線のホームから姫路城が見通せました。

2011年10月19日

 姫路市花田町のスーパーや電気店などの集まる新興の商店街のはずれの田んぼの中にひっそりと建つ地蔵堂がありその横によく見ると道標が2基あったので、「巡礼道の道標」の中ほどに追加しました。

2011年10月18日

 姫路市青山の山陽道から分岐する因幡街道をたつの市までの間で道標を探してみようと思います。本日は同街道最初の宿場、飾西(しきさい)宿で道標を2基見つけたので、新たに「因幡街道の道標」を設けて掲載しました。

2011年10月18日

 姫路市高木橋の東で1基新たに見つけたので「巡礼道の道標」の中程に追加しました。何度も近くを通った場所でしたが、最近現在地へ移設され姫路市の資料とは異った場所にあったので、なかなか見つけられなかった道標です。

2011年10月17日

 姫路市内でもまだ見落とした道標がたくさんあるようです。今日は西飾磨辺りを探して2基の道標を見つけたので「的形周辺の道標」の中ほどに追加しました。

2011年9月24日

 山陽道を歩いている時、秀吉の「中国大返し」ルートがいつも頭にありました。ここを3万の大軍が駆け抜けるには道幅が狭すぎるのでは? 世に言うようなスピードって本当かな?等々疑問がありました。

備中高松城を6月6日に撤退し、13日には天王山で決戦を行っています。かなり雨の日もあったようですが、橋もなく、舗装道路もない時代このスピード。私はこの間に20日あまりを要しました。三木市の資料では、姫路→三木→宝塚→豊中の有馬街道ルートも使用されたとありました。秀吉はその後の賤ヶ岳の戦いでも美濃返しというのがあります。

 大きな目的を持った人とそうでない人、決断力のある人とそうでない人。江戸時代人と現代人の脚力、いろんな差を感じました。比べること事態がおこがましいかな?

2011年9月22日

 岡山市の後楽園と今回の最終目的地備中高松城址周辺を歩きました。今回は道標はありませんでしたが、関連の写真を「山陽道の道標(西2)」に追加しました。

2011年9月8日

 山陽本線東岡山駅から吉備線吉備津駅近くの備中板倉宿までの山陽道を歩きました。古い道標はあまりありませんでしたが、一里塚跡や国境の碑などがあったので掲載しました。あらたに「山陽道(西2)の道標」を追加しました。

2011年8月29日

 備前市香登駅から瀬戸内市長船(おさふね)を経て、岡山市中区の東岡山駅までの山陽道を歩いたのですが、道標は少なかったので常夜燈なども載せました。「山陽道(西1)の道標」に追加しました。

  2011年8月22日

 岡山県備前市三石から同市香登(かがと)までの山陽道を歩きました。秀吉の中国大返しの起点となった岡山市の備中高松城址を目指します。 「山陽道(西1)の道標」を追加しました。

2011年7月3日

 表紙と的形町内説明の写真を削除し、リニューアルしました。また、「道標について」を追加しました。

2011年6月29日

 姫路市保城、白国、野里周辺で5基を写真に納めることができたので、「巡礼道の道標」の中間あたりに追加しました。

2011年6月17日

 本日現在の登録基数は342基です。

2011年6月13日

 判明した姫路市内の浜(飾磨)街道と室津道のルートで5基新たに見つけたので、追加しました。浜街道の2基は「的形周辺の道標」に、室津道の3基は「姫路市西部の道標」にそれぞれ追加しました。

2011年6月10日

 「姫路市西部の道標」には室津道、浜街道(飾磨街道)が混在していましたが、それぞれのルートがほぼ判明したので、「姫路市西部の道標」は室津道分のみ残し、浜街道該当分は「的形周辺の道標」の末尾に追加しました。

2011年6月9日

 本日は、姫路市の西中島から書写山までの巡礼道を歩いて道標を探してみました。西国三十三所26番札所法華山一乗寺(加西市)から27番書写山圓教寺までの巡礼道になります。すでに一乗寺から姫路市佐良和までは昨年調査済みなので、本日は市川を渡ったJR野里駅をスタート地点とし、書写山の東坂参道口、如意輪寺(通称女人堂)をゴールとしました。「巡礼道の道標」の最後に追加しました。

2011年5月25日

 有馬街道の残り、神戸電鉄有馬口駅から有馬温泉まで歩きました。ひたすら上り坂でした。これで姫路から有馬温泉までの有馬街道北廻りルートは完了しました。帰途のルートはロープウェーとケーブルカーを乗り継いで六甲山を横断し、神戸市灘区の六甲ケーブル下駅→阪神御影駅→的形駅でした。成果は道標1基と道路元標1基のみでした。

2011年5月15日

 容量確保のため更新情報の写真を削除しました。

2011年5月14日

 やっと雨も上がったので、三木市御坂東から神戸電鉄有馬口駅までの約20㌔を調査しました。有馬温泉まで残りあと5㌔ほどになりました。本日は、この間で15基の道標を見つけたので、整理次第掲載します。

2011年5月4日

 三木市内の本町から県道38号線の御坂東交差点まで歩きました。交通の便があまりよくなかったので、早めに切り上げて帰ってきました。

2011年4月29日

 姫路市内の有馬街道で新たに道標1基を見つけたので追加しました。同時に姫路市内の有馬街道の道標は「山陽道の道標(1)」から「有馬街道の道標」に移しました。

2011年4月26日

 偶然1カ月ほど前の新聞記事で加古川市内の道標が元の位置に戻されたことを知り、本日写真を撮って来たので「浜街道の道標」「高砂神社北門前の道標」の次に掲載しました。

2011年4月24日

 有馬街道(姫路~有馬温泉)を目指してみました。姫路、加古川はすでに掲載済みなので、本日は、加古川市八幡町宗佐を出発し、三木市の街道を少し外れますが、平井山の竹中半兵衛の墓まで歩いてみました。古い街道筋なので、昔のままの旧家や神社仏閣が多く見られました。またそれなりに道標も見つかりましたので、「有馬街道」のページを新たに追加しました。

 

2011年4月10日

 中国街道の残り、武庫川から大阪市内高麗橋までを歩きましたが、道標はそれほど多くはありませんでした。途中の神社などを含めて新たなページ「中国街道の道標」で紹介します。

 今回の歩行距離は今までの最高で41,500歩でした。途中の満開の桜など下に載せておきます。

 使用容量制限値に近づいたので「道標の形」と「道標の表記」は削除しました。

2011年3月27日

 毎日の東北のニュースには胸が痛みます。反面終着点の見えない原発事故にはイライラが募ります。そんな時期ではありますが、私のとりあえずの終着点京都東寺に本日到達しました。順次新たなページ「西国街道(5)の道標」に掲載します。しかし、大山崎町など図書館にも郷土資料館にも道標の資料がなく、銘文が判明していません。

 ページ容量が規制値に近づいたので、番外編等一部を削除しました。

2011年3月23日

 本日はJR高槻駅からJR山崎駅までを歩き、いよいよ摂津国から山城国に入りました。ゴールの京都まであと一歩となりました。道標は整理しながら「西国街道の道標(4)」に掲載していきます。

 途中こんなところにも出会いました。ゆっくり中をのぞいてみたいものです。

(写真削除 23,5,15) 

2011年3月20日

 箕面市と茨木市の銘文調査が本日で完了しました。

2011年3月10日

 本日は茨木市モノレール豊川駅からJR高槻駅までを歩きました。たくさんの道標を見つけることが出来ましたが、古いものや破損しているものなどあり、判読できないものも多くありました。「西国街道の道標(4)」に掲載します。

2011年3月8日

 5日、猪名川を渡り大阪府池田市に入りました。これを機に「西国街道の道標(4)」にページをあらためました。

2011年3月5日

 本日はJR伊丹駅から池田市→箕面市→茨木市モノレール豊川駅までを歩きました。かなりの道標を見ましたが、判読不能のものもあったので、各市の図書館で再調査してみます。とりあえず判ったところから「西国街道(3)」に掲載します。

2011年2月27日

 西宮神社からJR伊丹を歩きました。猪名川までの予定でしたが、図書館など寄り道をし、日没のため途中中断としました。整理次第「西国街道(3)」にアップします。

2011年2月24日

 西宮神社から中国街道を歩いてみました。西宮市歴史マップによれば、西宮の西国街道から分岐し大阪までを中国街道としています。西宮神社の赤門まえから出発し、ほぼ阪神電車の北側を東に向かいます。武庫川の右岸(西)にある岡太神社を終点としました。この間は虫籠窓のある民家はなく、旧道という面影は全くありません。ただ微妙に道路がカーブしているのはその名残かもしれません。道標も見つかりませんでした。

 22日の分も含めて「西国街道の道標(3)」として新たなページを設けます。

2011年2月22日

 山陽道(西国街道)は芦屋市打出から、西宮市国道171号線の武庫川甲武橋の少し上流にある「髭の渡し」まで歩いてみました。西宮神社の辺りから山陽道は海岸線を離れ北上します。本日のルートは西宮市歴史マップにしめされた西国街道を辿ってみましたが、斜めに市内を走っているので交差点の多くが変則で五差路などもあり、角々で立ち止まって地図を確認しなければなりませんでした。携帯ナビでもあればと、つくづく思いました。

 道標は文字のよく読めないものもあったので、調査しながら「山陽道(2)」(訂正:西国街道(3))に掲載します。

2011年2月18日

 神戸市の阪神電車御影駅から、芦屋市の打出駅周辺までを往復しました。往路は浜街道を、復路は西国街道を歩いてみました。打出は浜街道と西国街道の合流地点ですが、そこにはそれを示す劇的な標識は何もなく、ただ阪神電車が走っていました。西国街道筋は地図では気づかない坂が結構ありました。

 少しずつ整理して、山陽道(2)に掲載します。

2011年2月10日

 8日歩いたルートの整理が完了です。歩くより時間がかかりました。

2011年2月8日

 三宮から魚崎までの道標を探してみました。この間は、山陽道と浜街道の二つのルートがあり、かなりジグザグ歩行になりました。また、阪神大震災で大きな被害を受けた地域でしたが、復興事業の一つとして「旧西国街道」「旧西国浜街道」の道筋の案内板がよく整備され、かなりの道標や境界石も残されていました。徐々に整理して山陽道(2)に掲載します。

2011年2月1日

 1月29日分の一部写真を入れ替えました。新たに「兵庫城趾」と「兵庫県里程元標」の碑を山陽道(2)に追加しました。

2011年1月29日

 いよいよ山陽道は摂津国に入りました。最終目標は京都、さてどこまでいけるかな?

本日は須磨~三宮まで歩いてみました。街道の道標は2基しか見つけられませんでしたが、寺院や神社、名所旧跡の碑、また新しく建てられた西国街道の石柱などを辿りながら行きつ戻りつの6時間の旅でした。

 新たに「山陽道の道標(2)」のページを設けました。

2011年1月15日

 明石文化博物館で開催中の浮世絵名品展に行ってきました。気になった2点を紹介します。

歌川広重の東海道五十三次の戸塚宿の図に珍しく道標が描かれていました。「左り かまくら道」と読めます。(この道標は近くの妙秀寺に現在も保管されている) 

 もう1点は富嶽三十六景の一枚の描かれた場所は名古屋市中区富士見町との説明がありました。我が小学校の近くです。現在も材木店の多いところです。この辺りから御嶽山は見えたことがありますが、富士山は見えなかったと思います。

2011年1月5日

 現在姫路城は、平成の大修理中です。大天守の工事用の覆いには大きな絵が描かれています。

(写真削除 23,5,15)